「回転寿司屋にて ー 穂村弘」おいしい文藝 はればれ、お寿司 から
回転寿司屋によく入る。たぶん、平均して週に二回くらい。そうすると年に百回以上は行っていることになる。食事のたびに、何をどれくらい食べたいか、考えるのが面倒なので、吸い込まれるように入ってしまうのである。回転寿司なら、その場で欲しいと思ったものを取って、もういい、と思った瞬間にやめられる。
店の中に入って席に着くときに、コートを脱ぐべきかどうか、一瞬、迷う。回転寿司屋の席はたいてい狭くてコートの置き場がない。床に置くのは抵抗がある。膝の上に抱えてもいいのだが、どうも落ち着かないし、醤油で汚してしまうような気がする。 だいたいコートを脱ぐのは面倒だ。いったん脱いだら、帰るときにまた着なくてはならない。
そんなことをくるくると考えながら、結局、コートのまま、すとんと着席してしまう。
湯飲みにティーバッグを放り込んで、お湯を注ぎながら、早速、目の前の寿司の流れを〈読む〉。イカからいくか、ビントロからか、それともエンガワからか、考えながら〈読む〉。
穴子来てイカ来てタコ来てまた穴子来て次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ
小池光
これなにかこれサラダ巻面妖なりサラダ巻パス河童巻来よ
小池光 こいけひかる
好きな皿を取って食べながら、しばらく欲しい物が流れて来ないと、つい〈上流〉 の方を眺めてしまう。〈未来〉を知ろうとして、時計回りの右手を睨んでしまうのである。なんだか飢えているようで、恥ずかしい。ああ、俺は目の前にやってくる運命を静かに待てない人間なんだなあ、などと思いつつ、目は〈時間〉の流れをどんどんさかのぼってゆく。
あれ、なんだか、しばらくいいものが流れて来そうもないな、と思った瞬間に、 「回ってないものがありましたら、ご注文ください」と云われて、びくっとする。この店員、心が読めるのか。
実はさっきからウニが食べたいのだが、食べたいものを云うのがためらわれる。そうかあいつはウニが食べたいのか、とその場の全員に知られるのが、恥ずかしいのである。本当に私の心が読めるなら、店員よ、何も云わずにウニを流してくれ、と思う。 だが、さすがの彼もそこまではわからないらしい。
「ほら、何か食べたいものがあるんだろう? 云ってごらんよ」という店員の無言の圧力を感じつつ、「いや、お構いなく、それほどでもないんです」とやはり心で念じながら、さりげなくジョウガ容れからショウガを取ってみたりする。超能力者同士のテレパシーによる会話である。
お腹が充ちてくるにつれて、どこからか、少しずつさみしさがやって来る。回転寿司屋の椅子にコートのままちょこんと座った自分が、宇宙の果ての止まり木にとまっているように感じられる。背後は暗黒無限の宇宙空間、目の前をきらきらと流れ続ける寿司たちの輪廻。
鳴呼、いつのまに、俺は、こんなに遠くまで来てしまったんだ。