(巻二十一)むずかしき禅門出れば葛の花(高浜虚子)

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4月9日火曜日

お勤めの日ですがお休みをいただき、尿管のステントを抜いていただくために大病院へ参りました。
病院へ行く前に駅前でトーストセットをいただいたが九時半ころの駅前プロントは後期高齢者の集会所のような状態となり長居もできず退散いたした。何れ我が身ではありますがまだまだその雰囲気に浸れるまでには成長しておりませんなあ。

病院に入る前に区役所そばの家電量販店に入りICレコーダー用のベッドフォーンを探してみました。音質はどうでもよいのです。安くて帽子が被れる程度の小型の物が欲しいのですが、なかなかございません。一点あったのですがプラグがL字ではないから使えません。暫くはイヤホンで我慢いたさざろう得ません。

病院に着いて、先ずは入院費の精算をいたした。退院が日曜日だったので後日ということになっていたのでございます。保証金の三十円から入院費を引いた二十万余が戻ってまいりました。大部屋だからこれで済んだのですが個室に入れられたらプラス三万五千円だったでございましょうな。金だ金!

芍薬や枕の下の金の減りゆく(石田波郷)

内視鏡でのステント引き抜きはO先生が施してくれましたが、手術してくれたH先生同様暖かい。この病院で死のうか。
異状を感じたらすぐに来いと何度も言ってくれました。この規模の病院ならではですね。
しかし義妹には評判がよろしくない。義妹の舅がこちらでお世話になってすぐに逝ってしまったそうである。もっとも八十歳を越えていてそれまでもずっと寝込んでいた舅さんであるから、ほどほどということもあり、恨んではいないようだ。
誤診でも何でもいいが、ここまで来れば、苦痛なしで逝かせてくれれば文句は云わないつもりであります。

冷ややかに我が腑をさぐる内視鏡(岩城鹿水)

病院を出て曳舟川親水公園沿いにお花茶屋駅まで歩いた(写真)。お花茶屋から一駅乗って堀切菖蒲園駅で降りて古本屋青木書店を訪ねた。
お花茶屋駅周辺といい、堀切菖蒲園駅の周辺といい場末の黄昏た駅界隈の雰囲気を出しているなあ。
墨田、江東、荒川、足立、江戸川、葛飾の辺りには昭和二十・三十年代に集団就職組が“移民”して新しい文化を打ち立てたが、今、彼らに続くのはアジア・アフリカ大陸からの人々で既に彼らの二世たちは中学の制服に身を包んでいる。私も前代の移民二世である。
さて、その青木書店は古本屋の基本を守り北向に京成電鉄堀切菖蒲園駅の高架下にあった。がこの青木書店から教育関係の古書を取り寄せたことがあったが、本の揃え方は古本屋というよりは古書店と言えよう。入口の近くに文庫本があるが奥は美術・宗教関係の書籍である。
店主は五十代とお見受けした。寒々とした丁場にフード付きのジャンパーを纏って座していらっしゃる。
下記の文庫を頂いたが、古本屋の親爺としては丁寧な物言いでありました。少なくとも京成電鉄八幡駅前の山本書店の親爺よりは遥かに客としての扱いをしてくれる。

「思いちがい辞典
- 別役実」(ちくま文庫)

「夫と妻のための死生学 - 水野肇」(中公文庫)

*エピローグで著者はあたしとおんなじようなことを言っておりまして、ホスピスで心地好く死にたいそうであります。

青木書店を出て堀切菖蒲園駅前のバス停に立つと後五分で亀有駅前行きが来ることになっていた。そしてほぼ時刻表通りにバスが来た。このバスはただのバスではない!荷風さんが『奇譚』で浅草寿町から発車するこの系統を詳述しているが、多分そのバスなのであります。

定刻にバス来てたたむ白日傘(栗城静子)

*季節が合わないが、そこはお許しを。

帰宅し、差し向かいで夕食となり、後片付けとなり、がまた常滑焼きの急須を割った。手が滑ったというのではなくの洗った皿を食器乾燥機に詰め込み過ぎて、こぼれ落ちた皿が乾燥機前にあった急須の持ち手の所に当たり急須の持ち手は脆くも壊れたのであります。
床に飛び散つた破片を拾い集めて、雑巾掛けして、きれいに片付けました。こういうときは“危険”ですから言われた通りに動きます。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末にあはんとぞ思ふ(崇徳院)

人生の終末の一日をこんな風に過ごしましたが、やはり欲しいのはしっかりとした諦観であります。

成るようになるを諾なひあたたかし(千原叡子)