「小百合・良子・由美子ともう一人の女優 ― 鈴木清順」鈴木清順[エッセイ・コレクション] から
映画女優の素質を見抜くということはなかなか困難なことである。むかし松竹大船にいた頃、岸恵子、芦川いずみ、草笛光子が一どきに出て来た。私は造作の一番大きな草笛が見映えもよく一等の映画女優になると思っていたら、人気の出たのは一番つまらないと思った岸恵子だった。当時のことであるから当時の世相が岸恵子に合って人気女優にのし上ったのだろうが、撮影所という身内から見れば全然あてはずれのことだった。勿論映画女優であるから顔の美醜は最優先のことである。美しいということは見た目にも惚れ惚れするような美人であると共に、写真うつりがいいということである。いくら美人でも写真うつりが悪くては何にもならない。だから街を歩いていると美人は多く見受けるが、その全部が全部映画女優で美人になるかというと、そうではないから希少価値が生れて来る。草笛は映画にどっしり重みを与える女優であるが、岸恵子に負けたのは余りに顔が立派すぎてしまったからだ。顔でさえ思惑はずれだから素質なんてなおさらである。
出来上った女優を云々するのは容易なことであるが、出来上らぬ前の女優を出来上らそうとする現場の努力は並大抵でない、といいたいところだが、そう心配しなくても主役をとるぐらいの女優は台本に指定された役はわりと雰囲気充分にこなすものである。化粧が一作毎にうまくなるのと同様に、芝居の方も一作毎に難なくこなして今日の出来上った女優になるのである。女優は誰からも作られたものである筈はなく、自ら成り上ってゆくものなのである。時たま何某監督から持ち味や芸を引き出された云々の事がいわれるが、それは女優の側からいえばお世辞、批評家がいえば笑止千万というところか。現場にあっては監督も女優もめいめい勝手なことを考え為[し]ているので、そのアンバランスが映画の妙味ということになる。監督と女優がそれぞれを知り合ったらおしまいである。だから何々一家といわれたら一巻の終りで、私の好きなジョン・フォードも後年フォード一家といわれると、纏まり過ぎて荒々しい好奇心を失うのは、監督は俳優の限度を知り、俳優は監督の芝居の好みを知ってなれ合うからである。
監督は男である。男だから男優より女優に興味を持つのは九分通り当たり前のことである。また男優は映画になれるとあれこれ小うるさくいい出すが、女優は先ず何にもいわないから可愛いくて仕方がないということになる。よく監督は女優に惚れなければならぬ、といわれるがあれも嘘である。惚れたら何も出来はしない。可愛いいといっても手を触れる可愛いさではなく、一歩も二歩も退いた余裕をもった気分の可愛いさである。そしてこれも手垢のついた女優、勿論若い時から憧れていた高峰三枝子のような女優は別として、映画経験のある女優よりは映画経験の全くない女優の方が後年想い出に残るのは人情である。
そういう女優が三人いた。一番人気沸騰したのが後年の小百合ちゃん、吉永小百合で、馬鹿馬鹿しいことだがこの人とは一言も口はきかず、その時たった一つのカットを撮っただけであとはさっぱり御縁がない、ということで妙に気になる女優さんである。その時はもう大分撮影が進んでいて、撮影所長からどこでもいいからこの子のUPを一つ入れろ、という命令だったから芝居もくそもあったものじゃない。目白の坂の途中のお邸の門前にその子を立たせた時、誰が後年の吉永小百合を想像したろう。頑是ないいたいけな少女、おどおどとはにかみ笑いをしていた少女、と通り一ぺんの印象しかなかった。そこで私の方も、私にしてみれば余計なカットをさっさと撮ってさよならをいったが、もし私が具眼の士であったら少くとも数カットのUPを撮って撮影所長に見せただろうが、どうもそこいら辺の血のめぐりが悪く、凡そ大魚を逸したかんがあるが兎にも角にも手垢のつかぬ小百合をスクリーンに送り出したのはこの私であるから(実はラジオドラマ『赤胴鈴之助』あたりに出ていた由であるが、それは子供の小百合で、映画女優として立つか立たぬかの大事な年齢を問題にすれば)小百合記念碑の一頁ぐらいの値打ちはあるだろう。そしてその後仕事の外から小百合を撮影所で見ていたが、年毎にきれいになるが背のほうはさっぱり伸びないな、と思ったりしていた。大体に小づくりなところが可憐で、動作もひかえ目で、妻を娶らば才たけているような理智的小百合像が、勉強馬鹿の東大生には小百合がよく似合うと言われた所以で、それを外しても梨花一枝雨を呼ぶような小百合は永遠の映画女優のような気がする。
次が禰津[ねづ]良子。本来は手持ちの女優でゆく筈のところが、手持ち女優が他の映画出演に精一杯であったり映画自体目玉商品でない場合他から女優を銓衡することになる。海のものとも山のものとも予想がつかない素人から選ぶのだから気骨の折れることおびただしい。前段でいったように仕事に入れば心配する程のことでもないが、銓衡の数が多い。絶対にこの人以外にはいない、という決定打をもって演技部は監督に推薦することはないから玉石混淆で玉があったら見つけものである。こうなると決定は気合いで決める以外にない。ええい、と武者ぶるいして決めようとした時、助監督がモデルから連れて来たのが禰津で、何より気に入ったのは少女らしい赤味がかった皮膚が何処にもなくて全てが青白い。目、鼻、口は尋常であるが全てに薄くカミソリの刃のようで、妙に凄惨なかんじがする。身体全体がまたアンバランスで背丈伸びずの頭ならぬ顔でっかち、いってみれば少女になり切らぬ少女の印象を受けた。少女になり切らぬ少女という表現が私をうれしがらせた。他愛のないといえば他愛のないことだが、私は本来映画俳優は雰囲気的なものと思っている。芝居の上手下手は二の次で、特有の雰囲気を画面に発散させ得る俳優こそ最上等だ、と信じている。こちら側からいえばはじめての印象を短い言葉で表現し得る俳優こそ本来的に映画俳優であると思う。禰津はそういう女優だった。が禰津の場合はそれが余りに特殊過ぎた。少女に成り切らぬ少女は三年経っても少女に成り切らぬ少女でいた。そのまま彼女は結婚した。その時も、今も、私は結婚が彼女の最良の道だったと思っている。一昨年たまたま彼女と赤坂で会った。一足飛びに主役の女優になったんで、同輩や先輩の女優にずい分いじめられた、という彼女の言葉に私の知らない裏側の女優部屋で、少女になり切らぬ少女がじっと唇を噛む様子が想い出され気の毒なことをした、と思った。そう話す禰津はやや太り目の貫禄充分で、薄い唇がやはりあの時の凄惨なかんじを未だに残していた。
三番目が野川由美子である。ひと頃体当り演技という演技論が流行し、何でもかでもこれをよしとした。私はこいつが大嫌いだった。体当りはがむしゃらに通じるからである。今のポルノ演技が比較的それに似ている。ぬぎっぷりの良さが演技の最上のようにいいはやされる。女優はぬげばいいんだろ、ということになる。泣く泣くぬぐ、羞恥がある、ならいい。こういうものなしで唯ぬぐから女優がへんなとこで居直るのである。ポルノ芝居はみんな居直り演技だ。それもこれも体当り演技がそうさせるのである。野川はうまいところでそれを調和させた女優だと思う。
野川のキャメラは三寸退げる。野川を撮る時は他の女優を同じサイズで撮る時より引き気味に撮るという意味である。そのくらいにして他の俳優と丁度いい具合だそうである。つまり野川はキャメラに向って来る女優で、油断をすれば画の調子をこわされる。それを十八、九の映画を知らない小娘がやってのけるのである。相当年季の入った俳優でもキャメラから大概退くそうである。そうすると俳優は小さくなる。黙っていれば小さくなるのが当り前で、大きくなるのは何年に一人なないくらい稀有の素質だそうである。それでいてちゃんと内側の気持をおさえているから、体当り女優が傍若無人にキャメラに向って来るのとは訳違いなのである。野川を得てよろこんだのはキャメラマンで、救われたのは私だった。というのは或る高名な戦後風俗小説の映画化があたって裸体描写が劇の中心にあり、会社企画であるのに演技部から専属スター並びに女優の出演を拒否され、ぼとぼと弱りぬいていた時野川が現れたのだ。鼻ばかりが目立つ女優だった。しかしよく見ると目も口も大ぶりで禰津のカミソリとは違ってこちらはたっぷり肉がついている。これは生活力旺盛だ、と私は直ちに撮影に入った。よく笑う女優だった。そしてよくくやし涙を流す女優だった。総じて野川とは楽しい仕事が出来た。私の仕事は始めから世に問う映画ではない。通常の娯楽映画である。楽しい仕事がせめてもの想い出となる。中心に野川がいた。が、会社は俳優の第一作でその後の作品も決めてしまう。最初の裸体が尾を引いて野川は考え込むようになり、将来の自分の女優像に悩み出す。監督である私は答えようがない。 “最初撮影所に来た頃、助監督さんがコーヒーをおごってくれた。とってもうれしかった。だって撮影所に来る電車賃がやっとでコーヒーを飲むお金なんかなかったもの”最後に野川が言った言葉が今でも棘のように心につきささる。
もう一人、福田文子[ぶんこ]がいた。丸ぽちゃのニューフェイスで、冬の寒い期間伊豆の猫越峠で一緒に苦労した。その後消えるともなく撮影所から消えて行ったあと不幸な噂聞いたが私はどうすることも出来ない。仕事の苦楽が生涯の苦楽につながらないのは野川の場合と同じである。なら演技とは何なのだろう。監督と俳優が心をかよわせることではないようだ。演技とは孤独な亡霊のようなものなのだろうか。