「三馬の「浮世風呂」 ー 幸田露伴」講談社文芸文庫 雲の影 貧乏の説 から
三馬の作中で最もよく其特色を発揮して居りますのは、「浮世風呂」と其後の作「浮世床」でありまして、この二つは所謂三馬式の書き方で、他の同時代の作者とは全く異って居ります。そして徳川末期に於ける風呂屋の状態は遺憾なく顕わされて居ると云ってもよい位であります。それ計りではなく風呂屋を通じて、当時の社会状態は丁度一幅の絵を見る様に鮮やかに描き出されて居ります。三馬という人は直接に実際の世間に立交り、其銳利なる眼を動かして其作物を作り上げた人でありまして、同時代に卓出した馬琴等などがあらゆる書を通じて人生を見、それに自分の思想を加えて小説を書いたのとは又異って居ります。若し其時代の生きて居る状態を窺おうと思うならば、馬琴の作を見るより三馬の作についた方が適切で、殊に三馬の長所と其価値とを知るには「浮世風呂」に優る作はありません。
然し其以前にも、「浮世風呂」に類する作は無いではありません。三馬よりずっと前ですが、山東京伝の作に「いれこみ湯屋浄瑠璃」というのがありますが、やはりこれも実社会を観察して細かく描写してあります。最も「浮世風呂」の如くに数百ページを重ねたる長篇ではなく、只八九枚の小冊子には過ぎませんが、湯屋の光景を細かく写した点は「浮世風呂」に変りはありません。其「湯屋浄瑠璃」の一節に大工が湯に入りながら話をする処がありますが、其談話中に大工同志が符牒言葉を使う処を記してあります。三馬の「浮世風呂」がこの「湯屋浄瑠璃」を見ての思い付きか否かは不明でありますが、しかし「湯屋浄瑠璃」を見ての思い付きではないかという様な感がする処があります。、一体、小説中に符牒を余計に書き入れるとか、又或る社会の一部分の人のみ使う言葉を用うるとか、又は他の社会には通じない言葉を用いなどして其一場の景色を明確にするということは余り多い例ではありません。三馬は非常にそういうことに注意を払った人で、それを読めば何人[だれ]も気付くことではありますが、稍もすると、よく一種の言葉、即ち劇場に関係する人達又は音曲家同志の言葉、其他巫子達の間のみ用うるものなどを取って来て、それを面白く可笑しく綴ることは三馬の多く用いたるところであります。或は三馬も「湯屋浄瑠璃」を見てこれらのことを思い付き、そして「浮世風呂」が出来るに至ったかとも思われます。
其他に「銭湯新話」等いうものも「浮世風呂」以前にありますが、それらの内容については全く私の記憶から失して居りますから、別に話す程のこともありません。兎に角風呂屋専門に書いたという本は余り沢山はありません。徳川初期の風呂屋が一種の贅沢機関であった時代には、風呂屋者という一種の女がありましたが、其頃の風呂屋に関する一場の書き物などは時々認められますが、只普通の風呂屋専門に書いたのは先ず三馬の「浮世風呂」にとどめをさします。
(明治四十五年二月)