「恐竜たちの黄昏(終盤抜書ーその一) ー 池澤夏樹」文藝春秋刊 楽しい終末 から
恐龍たちは滅びた。彼らが生きて楽しい日々を地上で過ごした記録は化石の中にしかない。 彼らの絶滅を偶然と呼ぶか必然とするか、それを決める論拠はわれわれの内にはない。いずれ人間が絶滅し、われわれの骨の化石はおろかもっと馬鹿馬鹿しい人間の生産物の化石が山と土の中に埋まって、六千四百万年後にその時代の知的生命体がそれを発掘してあきれる日が来るとして、彼らの目にわれわれの絶滅ははたして偶然の不運と映るだろうか。
しかし、恐龍の場合を思って感傷にひたる余裕はわれわれにはないのだ。どういうわけか恐龍たちの消滅はわれわれの心を揺さぶる。他人ごとではないという気がする。あれだけ立派な動物たちがすっかりほろびてしまった。時間の作用とはそういうものだと達観できる者はいいが、凡人は逃れるすべを無意識で探しはじめる。まさかシーラカンスのように深海にもぐってじっとしているなどという敗北主義的な戦略には頼りたくない。本当の話、 の寿命というのはどれくらいなのか。それを決める因子は何なのか。どうも恐龍の化石はそういう疑問をあおるらしいのだ。
丘浅次郎という生物学者がいた。明治元年に生まれて昭和十九年に亡くなっている(一八六八―一九四四)。まず彼は進化論の日本への紹介者として知られ、次に特異な文明批評家として知られた。生存競争の原理を少しだけ拡大解釈して、種の寿命の限界を説くという生物学的悲観論を唱えた。広く一般に知られた人で、例えば大杉栄はなかなか熱心な丘浅次郎の読者であったようだ。二十歳前後の大杉はやたらな知識欲で次々に本を読みあさりながら「本當に何にか讀んだ、何にか知つた、何にか掴へたと云ふ、はつきりした自覺や可なりの満足のあつた事はなかつた」のに、丘浅次郎にゆきあたってようやくそれを得たという。「そして此の自覺と滿足を始めて僕に興へてくれたのが『進化論講話」であつたのだ。四五日の間僕は、夜も書も、 殆ど夢中になつて進化論の事ばかり考へてゐた。そして、それから一ヶ月ばかりの間に更に三四度繰返して讀んだ」。なかなかの熱意だ。
さて、丘後次郎の説は生物学としては比較的単純かつ明快である
一、いくつもの種の間には生存のための競争がある。
二、有利な資質を持ったものが競争に勝つ。
三、種間の競争に勝った種では今度は個体間の競争が激しくなる。
四、これに勝つために、個体は最初に有利な結果をもたらした資質をいよいよ進化させる。
五、それが合理性を超えて発達した時に、その資質は今度は奇形化し、生存にとって不利になる。
六、余計な荷物を負った種は環境の変化に応じきれず、やがて滅びる。
この生物学者がおもしろいのは、この理論をそのまま人間社会にも適用したところにある。 しかも、そこでは個体間の競争はそのまま社会内の不平等に置き換えられている。彼は言う ――――「人類はその始め脳と手との力によつて他の動物に打ち勝ち、絕對に優勢な位地を占めることを得たが、その脳と手との働きの進んだ結果、今後は貧富の懸隔が甚しくなり、生活の困難が増し、身體は退化し、神経は過敏となり、不平懷疑の念が進み、私慾のみが盛になって、 協力一致の働きが出来なくなるべき運命を有するに至ったのである。人類の場合においても、 初め生存競争上最も有效であつたその同じ性質が限りなく登達して、後にはかへつて禍をなして、今後は滅亡の方向に進むの外なくなったのであるから、彼の中生代のアトラントサウルスが初め他の動物に勝つ際に有效であつた體力が過度に發達し、つひにはそのため敏捷を缺いて滅亡したのと全く同一の径路を進みつつあると推測するの外はない。さればその終局も地質學上の各時代に一時全盛を極めてゐた他の諸動物と同じく、恐らくは次の時代までにほぼ全滅するを免れぬものとみなすが適當であらう」。『人類の将来』というこの文章を丘は明治四十二年に書いた。
ここでは軽く「貧富の懸隔が甚しくなり」と言っているが、彼の説の中では社会の不公平は人類の未来にとって最も大きなマイナス要因であったようで、他ならぬ大杉栄がこの警世的な生物学者に惹かれた理由もこのあたりにあった。現にその視点から大杉は丘の思想を論じながら「斯うみて来ると、博士の説は、大ぶ社會主義者のそれと似て来る・・・・・・・博士が現代社會の腐敗や、謂はゆる世道の頹廢や、人心の墮落を慨嘆して、其の根本的原因に觸れない道德、宗教、 慈善、及び有らゆる部分的改良手段の無效を痛論してゐるあたりはどのペエジを開いてみても、 大ぶ社會主義者の口吻に近い」と言う。その上で彼は「人間を一生物として見るのはいい。人間の社會を生物の一社會として見るのはいい。けれども人間と他の動物とを、人間の社會と他の動物の社會とを、全く同一視する傾向が博士には餘りに多すぎはしなかったか。人間と他の動物とを又人間の社會と他の動物の社會とを比較するのに、それ等の前者に餘りに重きを置きすぎはしなかつたか。生物學と社會學との境界を忘れはしなかつたか」と丘を批判する(『丘博士の生物學的人生社會觀を論ず』)。
この文章が書かれたのは一九一七年のことである。丘が先に引いた『人類の將來』なる文を書いたのは一九〇九年。この時すでに丘はアトラントサウルスというディプロドクス類の恐龍の名を引いて、恐龍たちの運命を人間も辿るかもしれないと警告し、それに対して大杉栄は人間と動物を同一視することはできないと書いた。今、その後の生物学の発展と人間の社会の方の変化を考えあわせてこの両者の議論を読みなおしてみると、むしろ事態が少しも変わっていないことに驚く。
丘の論理の中で追加を要する点があるとすれば、その後の八十年でわれわれは貧富の格差の他に、自分たちでも制御しきれないほど発達した技術とそれに由来する環境や資源という厄介な問題を抱えこんだことだろう。丘は核兵器も公害もオゾン層も知らずに済んだ。彼はこのままでは人類は滅亡するかもしれないと言いつつ、社会制度を改革することが急務であると説いた。この警告はまだ楽観を含んでいる。その後の歴史の中で、日本をはじめ先進国は国内の貧富の差という問題を国際化して南北問題に置き換えるという方法で究極の衝突が来る日を先送りした。根本的な解決ではないことは言うまでもない。
大杉の方はなお一層楽天的に見える。彼は丘の議論の欠陥を指摘して「博士が切[しき]りに詳説し強調する人類勃興の原因そのものが直ちに其の滅亡の原因となると云ふ謂はゆる博士獨特の發見は、博士自身の暗示する他の一面即ち社會制度の改革と云ふことによつて、殆んど全く若しくは少なくとも著しく其の價値を減ぜられる。理想は、直ちに實現され得ない。しかし、直ちには又現在の人間には不可能であつても、何れは又将来の人間には實現され得るかもしれない」と言う。理想などという美しい言葉がこんな風に使われるのを読むと、とてもそんなところまでは行けなかった「将来の人間」の一人として侘しい思いを抱かざるを得ない。人類勃興の原因はいよいよ強く激しく人類を滅亡の方へ追い立てているようなのだ。
恐龍の絶滅の理由が遺伝形質の衰退などの内部的なものだったにせよ、また天から降ってきた陽石や気候の変化や地殻の大変動など外の原因に求めるにせよ、彼らには少なくとも倫理的責任はない。彼ら自身の知的判断や努力の不足や自治能力の欠如が絶滅につながったとすることはできない。これが大杉も指摘するとおり動物と人間の、あるいは自然界と人間社会との、 最も大きな違いであり、本当に絶滅の日が来たとしてわれわれが実に情けない思いをしなければならない理由なのだ。人間は論理的な動物であり、それがわれわれの最も悲しい資質であるかもしれないのである。