「恐竜たちの黄昏(終盤抜書 ー その二) ー 池澤夏樹」文藝春秋刊 楽しい終末 から

 

 

「恐竜たちの黄昏(終盤抜書 ー その二) ー 池澤夏樹文藝春秋刊 楽しい終末 から

なぜ人間はかくも短い時間の内にこのような急速な台頭を遂げ、圧倒的に強い種になりあがったのか。丘が言う人間の有利な資質とは何だったか。普通に言えばそれは知性ということになるのだが、ここでは少し見かたを変えて、身体という制限の外で進化する能力と考えてみよう。個体の視点から見るならば、進化と 進化とは環境と状況に応じて身体の形と機能を変え、 より有利な戦略で自己の生存と子孫への遺伝形質の伝達の可能性を高めることである。しかし、一方では個体は遺伝形質によって規定された身体を持つわけで、それが環境次第で変わってしまってはむしろ失うものの方が多い。身体は生物にとって存在の基盤であり、それを安易に変えることはむしろ改良のメリットより失敗のデメリットの方を増やす危ない作戦だった。だから、 身体の形はめったなことでは変わらないようになっており、染色体は実に厳密なDNAのデジタル・システムで遺伝形質を正確にコピーする仕掛けになっている。
だから、自然は一個ずつの個体を変えることはせず、多数の個体の間の限定されたばらつきの中から、少しでも有利な資質を持つ個体を生き延びさせるという方法を採用した。これが適者生存ということで、そこに働く進化の力は全体としてはごく弱い。非常に長い時間と多くの世代をかけなければ身体の形は変わらないし、違う環境へ進出して別の生存戦略を展開することはできない。知的な進化、つまり本能の改善というのは一般にはありえない。新しい方法を親から学習することはあっても、それが遺伝子に組み込まれて次の世代に伝わることはない。
しかし人間は自分の身体の形を変えることなく別の環境へ進出する方策を編み出した。それが知力であり、技術である。知力は身体の形と遺伝のシステムに縛られることがないから、つまり身体というものの外にあるから、非常に早く革新できる。寒い土地へ出てゆく場合を考えてみれば、より長い毛と厚い皮下脂肪を持つ新しい種の成立には何百世代もかかるだろうが、 しい防寒具の発明ならば数年でできてしまう。具体的な方法は進化とは似ても似つかないが、 それでも新しい生存戦略に寄与するという意味では、技術革新は体外で行われる進化と呼べるのではないか。少なくとも主体たる生物の生存率を格段に高めるという点では、人間の技術は数百世代をかけて行われる進化と同じ意義を持っている。
人間は新しいということに異常な関心を示す。今に始まったことではないが、最近これが特に著しいことも事実だ。動物であれば親と同じ生活をして死を迎えるのはまったく当然のことであり、親と同じように自分の子を世に残せることそれ自体が想像を絶するような幸運であるという場合もある(たたみいわしを食べる時、鰯の子一匹ずつの運不運をよく考えてみるといい)。親よりもよい生活をしようと考える子は動物界では相当な野心家ということになる。 しかし、われわれは新しいものが自分の生活に入ってくるということにすっかり慣れてしまっている。われわれを囲む社会が最も重要なキーワードとしているのは進歩であり、技術革新であり、構造改革であり、革命であり、モデル・チェンジであり、新製品であり、陳腐化である。 つまり、すべて新しいという概念にまつわる用語だ。
どの時代のどんな動物でも、これほどの速度で進化を遂げたことはなかった。最近では変化が最も変わらないはずの身体の上に社会的な変化の結果がそのまま反映して、数十年で平均身長が十センチ以上も伸びたり、顔つきが変わったり、病気に対する抵抗力がぐっと落ちたりするという現象まで見られる。そして、このようなあまりに早い変化こそがわれわれに非常に深いところからの不安感を与え、安楽な日々に居心地の悪い思いを少しずつ注ぎ込んでいる。
丘浅次郎の言うような貧富の差はそれだけでは人類を絶滅に導くことにはなりそうにない。人は技術によって無意味だが魅力的なものを次々に生み出し、それを与えることで貧民の不満をその時々発散させるという巧妙な方法を見出して、危険を未来へ先送りすることにした。この作戦が意外に効果的だったことは認めなければならない(国内の格差を海外に輸出して、社会問題を南北問題にすり替えるという方法のことは先に書いた)。技術がかくも発達して、無限であったはずの資源をすべて浪費してしまいかねないという危難はまだ丘や大杉の知らないところだった。かくて問題は分配から生産と消費そのものへとシフトした。われわれは世界を征服したあげく自分たちの貪欲と戦わなければならないという、実に反自然的な進化の頂点に立っている。
問題はなぜ恐龍が滅びたかではない。なぜ彼らが一頭もいなくなったかではない。われわれが今知りたいのは、いかにして恐龍は一億五千万年の長きにわたって地球の上に君臨できたかということの方だ。生物の進化は地史のゆっくりとした流れと見事に呼応して、今も見るような多彩な生物相を生み出した。人間はその過程を千倍の速さで走りぬけ、ブレーキが効かないまま、次にどこを目指せばよいかわからなくて途方に暮れている。ホモ・サピエンスというのは自然が試しに作ってみた無意味な玩具、最初から超高速で進化してたちまち行き詰まって消えてしまう呪われた種なのだろうか。知力というのは結局は絶滅の因子でしかないのだろうか。