(巻二十五)蕪汁に世辞なき人を愛しけり(高田蝶衣)
4月24日金曜日
(散歩と買い物)
百円珈琲を喫していたコンビニが野外のベンチを撤去してしまった。これで行き場所が一つ減った。
これからは珈琲が飲みたければ、親水公園そばのコンビニで買って公園のベンチで喫することになる。どうしても飲みたいわけではないから、当分の間は珈琲断ちだなあ。
親水公園は葉桜で美しい。(写真)
本日は三千九百歩。
葉桜となりてをさまる並木かな(大坪景章)
買い物は風呂の洗剤とティッシュだが、店の営業時間の確認も任務でありました。変更なし。
(家事雑感)
今朝のお仕事は掃除機をかけることで、箪笥の上の埃をはらってから四部屋(2DK)の掃除であります。
春愁や箪笥の上の薄埃(源通みゆき)
葛飾区堀切の木造アパート六畳一間で生まれ、同区柴又の都営住宅の長屋で育った。長じて柏市の戸建てにも住んではみたが最低限の個人的空間があれば棲家は狭いくらいがあたしには居心地がよい。
今の間取りは老夫婦にはやや贅沢かもしれないが、若い二人ならともかく老夫婦がいつも顔を突き合わせているとろくなことはない。それぞれの居場所は欲しい。
がみがみとぶつぶつ共に着ぶくれて(彦根伊波穂)
入院すれば大部屋だがそこに居るのは他人だから、カーテンで周りを囲んで呉れればそれであたしには十分な個人的空間でした。
行く末、相部屋で息を引き取るのは同室の方に済まないから、お仕舞いのときだけは個室に移ることになるのだろう。 一日三万円としても 昏睡が五日か続けば十五万円だ!
四人部屋四人それぞれ死を見つめ(深堀正平)
そして、病院が終ればつぎの個室には安心して入れるようであります。
冬花火この骨壺という個室(千葉信子)
更にその先は合葬墓か。
住宅事情についての随筆には以下の在庫がございます。
『せまい家からの眺め - 天野有吉』