1/3「ラブミー農場の四季 - 深沢七郎」文春文庫 余禄の人生 から

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1/3「ラブミー農場の四季 - 深沢七郎」文春文庫 余禄の人生 から

埼玉へ来てから十二年もたった。三反半の畑に「ラブミー農場」などと愛称をつけて「農場だ」などと張り切ったのは越してきた当時だけだった。
いまは自分の食べる葉っパ類しか作っていない。食べるものしか作らないという私の畑も、いつのまにか私の気持は変って草花などの眼をたのしませるものも姿を見せるようになった。これは自分でも意外だと思う。花などは花瓶やコップなどに挿すのだが私は畑に直接植えてしまう。畑といっても家のまわりである。水などをかける手数もかからないし、散って、しぼんでも片づける手間もいらない。
野菜の花で綺麗なのは春菊だ。春菊は晩秋に種をまいて冬を越す。食べきれないものは春の三月の終りごろから薹[とう]が立って黄色いマーガレットのような花が咲く。野菜の花は可愛い。雑草や山草のように小さく、薄い色だからだろう。
私の畑では早春に小梅の花が咲く。白い、清楚なあの花だ。道からの入口に二、三本あるが、やっとこの頃は花ばかりではなく実が成るようになった。これも、このごろ病気の私には、花の咲く頃、いちどぐらい、入口まで歩くときに眺めるぐらいだけしかない。
春はさくらの花というが、さくらは私のところにはない。すぐそばの土手にさくらが咲くから眺められるのだ。さくらの花より二、三日早く、桃の花が咲く。桃も、五、六本植えたが実の成るころは裏側なので食べるのに気がつかず、ボタボタと落ちてしまう。桃も、一個ぐらい食べればいいのだ。さくらや桃の花の頃、豊後梅の花が咲く。「梅は紅梅」と言われて紅い色の梅の花が一番美しいとされている。ただ、紅梅は花梅だから実は成らない。ところが、豊後梅の花は紅梅で、実も成るのだから花を眺めてたのしんで、実も食用になる。実の数が少ないのが欠点だが、大きな実がつき、あんずや、すももぐらいの大きい実である。私の畑では豊後梅は四十本ぐらい植えたが、とても多すぎるので、いまは十本か、十五本ぐらいしかないだろう。果実の木は年ごとに大きくなって、実も沢山なるので僅かしか成らないけれど、ここへ来た頃は、なんでも本数を多く植えたのだった。
ただ一本しか植えなかったのは海棠[かいどう]で、これは花海棠ではなく実が成る種類である。いまは海棠の実など食べない。たいがい、リンゴの苗木の台にするだけだそうだ。私の子供の頃だから、五十年も以前だったろう。山梨の石和の私の家から六キロも離れた「ヤツシロの双子塚[ふたごづか]さん」という寺の祭りがあった。秋の夜の祭りで、「フタゴヅカさんへ行ったら海棠を買ってきてくれんけ」と、行くヒトにたのんだりしたものだった。海棠の実は一升五銭だか、六銭だかと覚えている。親ユビぐらいの大きさの丸い実で、まん中はリンゴの中のようにシンがあるので食べられない。食べるのがめんど臭いようだが、食べるところが少ないのが、また海棠の実の味かもしれない。私はこの実を好きで食べるけれど若い者などはリンゴを食べているからこんなめんどうなものは食べない。このごろはリンゴやブドウはお菓子のように甘く、果物の味とはちがっているようだ。美しく、大きく、甘く改良されたり、栽培方法が研究されているからだろう。果物は、ほんとは、山ぶどうのように野性的な味が大切だろうと思うけれど。
海棠の花は綺麗だ。花海棠はもっと美しいが、実の成る私のところの花も素晴らしい。入口からはいると家の右側に咲く。たった一本だが花の数は無数だ。植えたときはハタキぐらいの太さで一メートルぐらいしかない木だったが、いまは下枝の太いところは登れるくらいの大きさになった。
海棠は花も無数に咲くが、花びらの散るのは文字どおり花吹雪のようだ。四月の終りごろで花吹雪の風が吹く。地面も花びらでおおわれるが、実も無数に成る。
さて、私の住んでいる町の名は「菖蒲[しようぶ]町」で、昔から菖蒲の多いところだそうである。戦国時代は上杉謙信の砦で、城といっても小さいものだったらしい。城が作られて入城するとき、あたり一面が「あやめ」の花だったので「あやめ城」と名づけられたそうである。あやめは、おそらく、「三寸あやめ」のような紫の、小さい、清楚なものだったらしい。この辺は沼地なので、あやめも自生していただろう。沼地なので花の数が多く、花の数が多ければ綺麗だろう。あやめ城の城跡というのは現在も残っていて田んぼの中に、大きな松と碑が立っている。
私はこの菖蒲町に来て、「しょうぶ町」なので花菖蒲のことだと思ってしまったが、実際は花菖蒲ではなくアヤメのことだった。この辺の年よりたち - おばあさんたちは、あやめも花菖蒲も同じらしい。チューリップ、グラジオラスなども「あやめ」と呼んでいるのはほほえましい。学術的な話をのぞけば花などというものは、そんな大ざっぱな区別だけでいいのではないかと思う。むずかしい花の講釈などはかえって花を眺めるよろこびを半減してしまうのではないだろうか。
菖蒲町へ来たので花菖蒲の苗を植えた。肥後花菖蒲だそうだ。地質がよく合っているので年々ふえて行く。一本の苗が三十本、五十本の大株になってしまったので、こんど根わけをしようと思っている。
あやめが終ると入梅から夏が近づいてくる。夏の朝がたのしいのは朝顔があるからだ。菖蒲町でも私のところは町からかなり離れているが、町には私にとって「あさがおの先生」というヒトがあって、まいとし、初夏に苗をくれる。このあさがおの先生は「おおやさん」という書店の主人である。偶然だが、本の話などもするときがあるが、このあさがおの先生は朝顔ばかりではなく、ほとんどの花を持っている。なかでも椿は何百種というほどあるようだ。ほかに農業もやっていて、自分の家の食料用もかなり間に合っているらしい。私よりも五、六歳年配だが、ひとりで、道楽にやっている。私は心ぞう病をやって、死にぞこなってから六年も七年もたった。食料用の野菜を作っているといっても私には出来ないので他の人にやってもらっている仕末だ。だが、眺めたりしていると自分の作ったもののように思っているから妙だ。あさがおの先生はこの点、素晴らしい。驚くのは玉ネギの苗まで私のところに持ってきてくれる。春の玉ネギの収穫どきには大きい実まで持ってきてくれる。とても、私など比べものにならない。それでも本物の百姓ではなく趣味の農業だからかなわない。このあさがおの先生は朝顔ばかりではなく桔梗やとくさ、虫とりナデシコの苗まで、私はもらったので、ラブミー農場の本家みたいな感じがしている。