「あっぱれな親不孝「山崎屋」 ー 山田洋次」日本の名随筆別巻29 落語 から
親爺の店から持ち出した二百両の大金を吉原ですっかり使いはたし、ケロリとした顔で帰ってきた若旦那、
「旦那様がたいそうな御立腹で」
と慌てる忠義な番頭に、
「別に借金をして使うというわけではない、家にある金を持っていって使うというのに何をグズグズ言いやがる、考えてごらん、乃公[おれ]が壮健[たつしや]だからこうやって芸者を揚げて遊ぶとか吉原へいつづけするとかして遊んでいられるんだ、息子が壮健で遊んで生きているのは親爺の幸福だよ、そのへんの理屈もわからない親爺なら外へかたづけなさい、親爺なんてものは人間のぬけがらです、死なないように御飯をあてがっておけばよいのです」
とうそぶいて、それがつつぬけに聞えてカンカンになって怒鳴りちらす父親に、
「あらお父つぁん、私いやだワ」
と声色をつかってみせ、使いはたした二百両の明細を言えとつめよられるのに平然と。
「では第一に髯を剃りました代が三両と願います」
「何、髯剃りに三両,馬鹿を言え、髯を剃るのに何で三両もかかる、十文もあれば充分ではないか」
「お父つぁんのおっしゃるのは普通の床屋、私のはそうじゃない、花魁の三階の角部屋、十二畳の座敷、前に三十五両の南蛮渡米の姿見がある。ここに花魁、ここに新造衆、うしろに床屋の若い衆が立っていて、前に金だらい、ここに豆どんが居眠りをしている。そこに猫がいたりいなかったり。 で私が花魁の部屋着を着て扱帯[しごき]をして懐手をしてこういう形になる、こういう形、お父つぁん、 御覧なさいよ。チョイとお父つぁん」
くさりきっている親爺の頭をかかえて花魅が濡れ手ぬぐいで顔をしめしてくれるところを実演し、親は悲鳴をあげるという、この山崎屋の若旦那の傍若無人というか型やぶりというか、実にすさまじい親不孝ぶりを、観客の私たちはなぜかくも楽しく、喜ばしく聞き惚れるのだろうか。 落語における親不孝者はなにもお店の若旦那に限ったことではない。
たとえば『二十四孝』の主人公の裏長屋の住人などは、友達に貰った魚を台所において風呂に行っている間に隣の猫に食べられてしまい、畜生め魚を食った猫だから猫を食ってやろうと大きな口を開いて猫にとびついたところ、猫が隣の家に逃げ込んだので後を追いかけようとしたら、●がお隣にはいろいろ御厄介になっているんだからそれぐらいのことで大騒ぎするなとぬかしたので、黙ってひっ込んでろとちょっと横に撫でてやったら、二廻りしてひっくり返ってしまい、見かねた阿母がなぜそんなことをすると小言を言うので、●をなぐって悪ければ今度はてめえの番だとチョット阿母の襟っ首へ手をやったら阿母が向う側へとんでいっちまった、というあっぱれな親不孝ぶりである。
このような親不孝ぶりを、私たちはなぜ楽しく見物するのだろうか。これら許しがたい親不孝者たちを、私たちはどうしてかくも愛するのだろうか。
観客は決して親不孝をよいことだと考えているわけではない。にもかかわらず、山崎屋の若旦那が父親を嘲弄することを喜び、もっとやれ、もっとやれという気持になる。
ではそれほどまでに山崎屋の大旦那が憎たらしい存在かといえば、決してそうではない。実は伜のたわごとを聞きながらうんざりしているこの大旦那にも、深く同情している。
『よかちょろ』というものを五十両で求めた、これは大変安い買いものだった、そうかさすが商人の息子だ、安いものなら結構、すぐここへ出して見なさいといわれた伜が変な声で端唄を唄い、 へよかちょろパッパ、はいこれで五十両
というと、父親はあまりの馬鹿馬鹿しさに怒る気にもなれず、思わず、
「ああ、イヤだイヤだ」
と溜息をつく時のおかしさといったらどうだろう。あの笑いは父親への共感、心からの同情から生れる笑いだというべきではないか。
実は私は、自分の作った映画の中で何度かこのよかちょろのような設定をもうけて、「ああ、イヤだイヤだ」というセリフを俳優にいわせたことがあるのだが、なかなか落語の場合のようなおかし味にはならなかった。つまり、単純な嫌悪感を表現するだけではあのおかしみに達しないのである。
「山崎屋」における「ああ、イヤだイヤだ」の内容は、もちろん、伜に対する嫌悪感の表現ではあるのだが、それと同時に、そのような愚かな伜を持っている自分自身への嫌悪感、愚かしさを承知しつつそのセを愛している自分の否定、すなわち、伜が嫌なだけでなく、自分も嫌なのだ、という表現なのであり、それゆえに、その気持がよく伝わるがゆえに、観客である私たちは思わず笑ってしまうのである。
私の作品「男はつらいよ』の中で、寅さんの叔父貴を演じた今は亡き名優森川信さんが、寅の愚行を眺めながら思わず呟く、
「馬鹿だね。」
という独り言のおかしさもまたそれと共通している。
字句どおりに受け取れば、それは単なる寅への侮蔑の言葉でしかないのだが、森川信さんの表現には、もっと深い内容、つまりこの愚かしき男を愛してしまっている自分への侮蔑、ないし嘲笑、 つまり自己否定の要素が加わっていた。つまり彼の「馬鹿だねぇ」は寅への侮蔑でなく、逆に愛情の表現であったのであり、そこに共感して観客はつい吹き出してしまったのである。
考えてみれば、落語の主人公にあまり親孝行な人物などは登場しない。忠義で勤勉で夫婦相和し、友人を信じ、兄弟仲良く、隣人とは平和にといった類の、教育勅語の手本のような人物は全く落語とは無縁である。
だからといって、落語は民衆の封建道徳に対する抵抗の精神から生れたと断定することには、いささか問題がある。道徳はもともと民衆が生み出した生きていくための知恵である。
親には孝行しなければならない、夫婦は仲良くしなければならないというきまり事は、本来民衆が持っている健康な道徳意識である。それでいながら、時としてその道徳からひたすらはみ出して生きたいという願望を同時に民衆はかかえているのである。
だからこそ山崎屋の若旦那の反道徳ぶりを楽しみ、怪しからぬ夢をはてしなく展開しつつ、ふと我に返って思わず「ああ、イヤだイヤだ」と溜息をついたり、「馬鹿だねェ」と思わず自嘲の言葉を吐いたりするのである。
つまり、山崎屋の若旦那とその父親は、両方とも民衆の心の中に矛盾しながら生きていると言っても良い。人間の意識をそのようにとらえて物語にして見せるところに、落語というリアリズム芸術の近代性があるのだ、と私は考えている。
聞くところによると、我らの総理大臣は、教育勅語は大変良いものであるから復活してはどうかという考えをもっておられるそうだが、こういう考え方をする人は民衆というものをよく理解していないだけでなく、民衆を心から信頼していないのではないかと思う。もしどうしてもそのようなものを復活するなら、江戸幕府がやったように、落語などという反道徳的芸術、およびその他一切の笑いの芸術を日本から追放せねばならないだろう。
なおこの『山崎屋』という咄を上下二席に分けて、上のほうを「よかちょろ」として独立させたのは、初代三遊亭遊三という人だそうである。そしてこれは聞き憶えであるが、この遊三という人は旧幕のころお賄い御家人であったにもかかわらず寄席通いばかりしていて、ついには落語家に弟子入りして高座に出るようになってしまったのが、維新後親戚に意見されて廃業し、司法省の官吏となって検事から判事になったのだが、ある裁判で美人の被告に誘惑されて曲がった判決をしたことから免職になり、再び落語家となって遊三を名乗り、一家をなしたという人物だそうである。 私の聞き憶えに間違いがないとすれば、この「よかちょろ」は、元裁判官の作ということにな
なんと愉快な話ではないだろうか。