「コミケット・世界最大のマンガの祭典(其の二) - 米沢嘉博」宝島社文庫 「おたく」の誕生 から

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コミケット・世界最大のマンガの祭典(其の二) - 米沢嘉博宝島社文庫 「おたく」の誕生 から
 
アニパロ、コスプレ、ロリコン

コミケットは当初、萩尾望都竹宮恵子といった「24年組」少女マンガの人気もあって十代の女の子が入場者の八割を占めていた。そして回を追うごとに、サークル数は増加し一般も増えていった。こうしたなかで、同人誌界という、インサイドゆえの人気テーマとして浮上していったのがパロディである。人気のあった「ポーの一族」「宇宙戦艦ヤマト」などの長編パロディはかなり売れた(といっても五百から七百部だが)。その他、耽美派ロック系の少女マンガ、ファンタジーやSFといったジャンルも多かったようである。
七七年には百サークルほどになり、会場を大田区産業会館に移す。この頃、巷での「ヤマト」「ガンダム」のアニメーションブームが同人誌界にも入ってくる。しかしアニメという。しかしアニメという、フィルムを作る形での創作は、金銭、人員面で難しい。コミケットでは同人誌という形をとることもあって、研究派、ファンクラブ派、そしてパロディマンガ派という三つの流れをとった。そのなかで、主流となったいたのが、アニメのパロディマンガ、いわゆるアニパロである。女の子によって描かれるそれは、当時流行だった「ボルテスV」のプリンス・ハイネル、「ガンダム」のシャア少佐、といった美形悪役キャラクターを主人公にしたり、彼らに同性愛を演じさせたりと、後の「やおい」の原型ともいえるものであった。
大田区産業会館のラストになる七九年末のコミケット13は、二百九十サークル、四千人という規模に脹れあがっていた。この頃、コミケット出身者による『JUNE』(サン出版)や『PEKE』(みのり書房)などのマイナー誌の創刊があり、ニューウェーブブームと名付けられることによって初期同人誌の描き手たちかそこでデビューしてゆく。また、少女マンガ誌でも、同人誌作家の取り込みが始まった。この頃のコミケット参加団体内訳は、創作[オリジナル]マン研二百、FC[ファンクラブ]、研究会系四十、アニメ系五十といったところである。
八〇年に会場は川崎市民プラザへ。ここでの開催は二年間だが、第十七回のコミケには四百サークル、八千人を集めるようになっていた。この時期コスプレ(コスチューム・プレイ)という新しい動きが顕在化してくる。つまり、好きなマンガやアニメのキャラクターの扮装をして、売り子をやったり、パフォーマンスをしたりする参加者の増加である。と同時に、女性優位だったコミケットに、男性参加者が増加してくる。創作系では、なんきんや西秋ぐりん永久保貴一といった描き手がいたが、一方で、女性によるホモマンガに対抗した美少女物の流れが生まれてくる。後に“ロリコン”と名付けられることによってブームになるジャンルだった。『シベール』の沖田佳雄、孤乃間和歩、『人魚姫』の千之ナイフといった描き手たちだ。
 
巨大化への道

年三回ペースで開かれていたコミケットは、即売会としての機能と共に、社交場てしての意味を持ち始めていた。さらに「祭り」としてもだ。
マンガを描く、本を作るといった地道で時間のかかる作業があって、それを「ケ」とするならば、コミケットは「ハレ」である。そして、参加者はハレの日のために、派手な服でやって来て、楽しんでいく。少女マンガファンの参加者たちが、ロック系や人形系(エプロンドレス)のファッションを持っていたのに対し、アニメファンが持ち込んだのがコスプレだったといってもいいだろう。市民プラザの時代に、こうした見た目の派手さと祭り的な様相が形作られていった。そしてもしかしたら、同人誌界というインサイド固有のマンガのジャンルも形を整え始めていたのかもしれない。
というのは、八〇年代になると、商業出版のジャンルは、あらゆるものを許容していこうとし始めていたからだ。SFやファンタジー、実験的なものから、内省的なもの、耽美にロックに、エロスにホモ、さらにロリコンまでもが商業誌に取り入れられていった。そうしたなかで、より同人誌的であろうとすりならば、同人界内でしか成立しない楽屋落ちを基盤にしたパロディが突出してくるのは当然だった。それも「笑い」、「風刺」、「批評性」にこだわらず「外伝」や「新作」という「もうひとつのストーリー」の創作である。
八一年十二月、コミケット19は、ついに晴海国際貿易センターに移る。規模は、六百サークル、九千人になっていた。アニメやマンガの少女キャラをいたぶったりするロリコンの同人誌は、いつしか、少女を主人公にして少女の魅力やエロチシズムを描く男性によるマンガ全般を指すようになりそれは、男性参加者を増加させていくことになる。SF-特撮、音楽、芸能といったジャンルの同人誌も少しずつ増えていた。アニメも勢力を伸ばしていきつつあった。
コミケット準備会は、六百ものサークルを扱うために、スタッフの人数が増え、案内のためにコミケットカタログを刊行するようになった。また「うる星やつら」ブームのなか、ラムちゃんのコスプレ(虎縞のビキニ)などが問題になり、警備会社を使うようになる。
コスプレは、多い時でも参加者の二、三パーセントで、千人に満たないのだが、見た目の派手さもあって、マスコミに取りあげられることが多かった。あらゆる表現を許容することを謳うコミケットでは、手づくりのコスチュームによるパフォーマンスもひとつの自己表現ということで、歓迎はしないが規制もしないという方向で対処することになる。
ただし、この頃より『コミケットマニュアル』で、理念、目的、心得など、サークルの自主管理を基本に、モラル、常識というものを参加者に対して具体的に明文化して、アピールしていくことになった。
「何か行動する時には、人の気持ちになって考える。エゴイズムは抑えなければ、心地良い場はできない。モラル、常識、マナーを忘れないこと」 - 中、高校生も多いコミケットという「場」さ、学校や家庭で教えなくなってしまった、社会生活の場での人間としての基本的部分をマニュアル化することで、巨大になってしまったコミケットの自由を維持することにしたのだ。
 
マンガによる遊びの発見

晴海という容器の中で、コミケットは回を追うごとに巨大化していった。八二年十二月には千サークルを突破。年二回開催となった八四年八月のコミケット26では二千四百サークル、三万人、八六年のコミケット30では三千九百サークル、四万人が集まるようになっていた。ロリコンブームは、美少女を核に、メカとSF、ホラー、ファンタジー、ラブコメ、キンキー(SMなど)と多様化していき、エロチシズム派と物語派に分かれていった。とはいえ、男性系サークルは全体の三割を越えはしなかった。
そこに起きたのが「キャプテン翼」ブームである。『少年ジャンプ』連載のこの少年マンガ(アニメ)を、パロディにした同人誌が、八五年頃から少しずつ増えていった。登場人物の少年、小次郎と健の二人をホモカップルに仕立てあげた“やおい(ヤマなし、オチなし、イミなしの略で、ホモ系アニパロ作品を自虐的に呼ぶ言葉)”が主流だったが、たとえば日野日出志のタッチでホラーにしたり、いがらしみきおの「ほのぼの」を模した四コマ形式で描いたりと、あらゆる遊びが登場した。
そう、遊びなのである。それは、同世代の女の子みんなが知っている「キャプ翼」という作品世界の設定を前提に繰り広げられる変質、解体、批評、弄び、であり、スタイルやファッションや趣味のコミュニケーションなのだ。マンガは、きっちりした物語やドラマを語るためには、世界、登場人物の説明を行わなければ、話を始められない。その基本的説明だけで数ページ、いや数十ページが必要となる。しかし、遊びで易々と行なうには、二~十六ページぐらいが適当なのであり、その場合、こうした説明をしなくてすむ既知の世界と設定を使えば簡単なわけである。
そうして、こうしたドラマの基本部分をすっ飛ばしたおかげで、女の子は絵のスタイルやファッション性、心理描写といったディテールに集中することができるようになったのだ。少年どうしの恋愛は、男らしい少年とかわいい少年のカップルが多いことから見ても、仮装した少女と少年の疑似恋愛、SEXなのだろうし、その二人の感情のゆらめきは、少女マンガのラブロマンスと似ている。いや、八〇年代に入ってからは、商業誌の少女マンガにも“少年”は定着していたではないか。基本的にラブ、行きつくところはSEXを描く少女マンガは、もっと前からダイレクトに少年の魅力を描いていたではないか。
にしてもこの「キャプ翼」の抬頭は、女の子たちに、同人誌でしかできない、しかもそうした場所ゆえに楽しめる「遊び」「表現」を定着させたのである。続いて「聖闘士[セイント]星矢」がアニパロの新しいジャンルとして現われる頃、コミケットは晴海からTRC(東京流通センター)へ移り、二日間開催という形をとるようになっていた。八八年十二月のコミケット31は、四千四百サークル、四万人という規模。それは、この「キャプ翼」「星矢」によって流れ込んだ、第二次ベビーブーム世代の女の子たちによってもたらされたものだった。