「検視」「検屍」「検死」 ー 古野まほろ」幻冬舎新書 警察用語の基礎知識 から
変死体が発見されたら
殺人事件は、報道でもフィクションでも大きなトピックです。そして殺人事件となると、あるいは異常な死体があると、当然、警察がいろいろ調べなければなりません。
ここで、実務的なことをいえば、いわゆる変死体が発見されると、警察官が必ず臨場することとなります。というのも例えば、「自殺なのか他殺なのか」「何故・どのようにお亡くなりになったのか」等を明らかにしなければならないからです。このようなとき、変死体を取り扱うのは私服の捜査員で、いわゆる捜査一課系統の刑事たちです(警察署では、刑事一課系統となります)。ゆえに変死体、業界用語でいうマルヘンが発見されたとなると、刑事部屋の刑事一課系統の刑事たちは、あの機動隊の出動服等に着換え、時として遺体搬送用のトラックを動員しつつ、現場に臨場することとなります。
そしてこの場合、御遺体と、もしおられれば御遺族に対して礼を失さないようお祈りなり黙禱なりをしてから、御遺体を裸にし、髪の毛の先から爪先まで、全身を、膨大な数のチェックポイント/チェックリストにしたがって(御遺体の外表はもちろんのこと、例えば目蓋の裏とか、喉の奥とか、鼻の中とか口とか、果ては性器・肛門にいたるまで)調査することになります。これは、どのような御遺体についてもそうで、例えば自宅介護の御老人がベッドの上でおなりになったときも、竹藪で誰かが首吊りをしたときも、川で少年が溺死したときも、通勤中に脳溢血でバタリと即死してしまったときも、飛び下り列車への飛び込みのときも、いわゆる練炭自殺のときも、駅のホームから転落し頭を打ってお亡くなりになってしまったときも、全て平等に、一律に行われます。ここで、性器・肛門まで視るというのは、例えば縊死・ 絞殺のときは、いわゆる失禁・脱糞が認められることがあるからです。それ以外にも、性犯罪のときは必然的にチェックしなければならない箇所ですし・・・・・・私自身、この仕事にしばらく従事したことがあるので、「死んだら警察に何を視られるか」を考えると、「他殺は防げないかも知れないが、自殺はするもんじゃない、死んでまでいろいろ品評されるのはゴメンだ」と思い、 この世の多少の愛さはどうにか我慢するようにしています・・・・・・
死体見分・検視・検証
さてその文脈を使いますと、①私がこの世の憂さに耐えきれず、遺書を残して密室で首を吊ったとなると――一抹の疑問が残るケースはありますが――まあ犯罪による死体とはいえない。 あるいは衆人環視の中、自ら列車に飛び込んだとなると、これまた犯罪による死体にはなりません。しかしそれもまた、警察によるチェックを受けなければならないのは右に述べたとおりで、この場合の警察のチェックを「死体見分」といいます。他方で、同じ例を用いれば、②開放された部屋で遺書もなく、ちょっとロープの結び目も怪しい感じで首吊り死体となっていたとなると、あるいは、誰も目撃できないまま、夜間、列車に激突して死んだとなると―――それは「自殺なのか他殺なのか?」「犯罪があったのかなかったのか?」を、直ちに断言できない死体となります。この場合は、警察が行うチェックの中身は一緒ですが、そのチェックは死体見分ではなく「検視」となります(必ず「視」の文字を使います)。さらに、③私が誰かに絞殺されたのが明白であるとき、はたまた、誰かに突き飛ばされて列車にはねられたことが明白であるときは、これは「明らかに他殺」「明らかに犯罪」なのですから、またもや警察が行うチェックの中身は一緒ですが、もはや捜査手続に乗せるべきだということで、それが先に述べた「検証」(強制捜査でしたね)と位置付けられることもありますし、実務的にはやはり「検視」と位置付けられることもあります(明らかに犯罪によるのかどうかは、そうカンタンに断言できないケースも多いですし・・・・・・)。
いずれにしても、警察が変死体に対して行うチェックは、仕事の中身としては一緒です。変死体は、明らかに犯罪によらないのであれば「死体見分」を行われ、そうでないのであれば 「検視」「検証」を行われる。もちろん死体見分の結果、いよいよ「犯罪によるものである」 解明・断定されることも少なくなく、そのときはやはり「検視」等と位置付けられてゆきます。
警察にとって「検屍」「検死」はない
この死体見分あるいは検視については、「犯罪の見逃し」「誤った自殺認定」が大きな社会問題となりますので(例えば保険金殺人の場合など)、警察署の刑事一課系の刑事は、そもそも死体のスペシャリストであることが多いです。また、そうはいっても警察署だけに任せることをせず、誤認見分あるいは誤認検視を確実に防ぐため、警察本部に「検視班」が置かれているのが常です。これは捜査一課系の刑事のうち、死体のウルトラスペシャリスト集団といってよいでしょう。その長である「検視官」等は、変死体が発見されたとなると、現場が山奥村であろうと秘境湖であろうと、時刻が深夜2時であろうと、可能な限り警察本部から車を飛ばして自ら臨場し、警察署の刑事一課系の捜査員を指揮監督しながら、自分の目でも変死体を視ます。 いちばん悪いのは、「真犯人がいるのに、誤認検視等によって捜査すら始まらない」ことですから。
さて、この警察が行う「検視」ですが、注意点が2つあります。
その1は、これは実は検察官の仕事であって、警察は飽くまでヘルプとして位置付けられていること。ただ、それは刑訴法のタテマエであって、検事センセイはこうした泥臭い仕事を自らなさることはないので(・・・・・・などという意地悪な説明を避けると、それだけの人的余裕も専門教育もないため)、実際には、現場で実戦経験を積んだ、大学の法医学の先生顔負けの、検視官を始めとする捜査一課系の刑事がそのほとんどをこなします(「代行検視」。ただし代行検視がむしろ原則となっている)。
注意点の2は、警察にとってケンシは「検視」という仕事を意味し、「検死」「検屍」なる仕事は――その用語自体も 存在しないことです。だから例えば「検死官」はいません。我が国では、「検死」「検屍」を定義づける法令もありません。一般的には、それは、解剖・検案を中心とする、医師による死因の究明を指しているのだと思われますが、定義がないので、これは論者によります。ゆえに、警察フィクション、警察報道において、「検死」「検屍」が用いられることは、理論的にはないはずです(が、ままありますよね)。もちろん、海外に関する報道、あるいは翻訳もののフィクションなら、「検死」とか「検屍官」でも全く問題ありません
――それが正しいのならば。というのも、我が国とは法令も制度も異なるからです。