「旅行上手と旅行下手 ー 上林暁」文と本と旅と 中公文庫 上林暁精選随筆集 から

 

「旅行上手と旅行下手 ー 上林暁」文と本と旅と 中公文庫 上林暁精選随筆集 から

私も大根[おおね]は、旅行が好きである。地図を開いて、曾遊[そうゆう]の地を懐しみ、未知の地に憧れることもしばしばである。子供の頃から紀行文を読むことが好きで、中学一年の時、「紀行文集」というのを買ったのが最初で、つい先だっても、田山花袋の「花袋行脚」というのを買って来た。家に帰って本棚を見ると、家にも「花袋行脚」があって、二冊になったのであった。それでいて私はなかなか旅行をしないのである。去年は奥多摩へ二晩泊りで行ったきり、今年はまだ一度も東京を離れないでいる。行ってみたい所は一ぱいありながら、 億劫がり屋なので、思い立ちにくいのである。また経済下手で、旅費に苦しむのである。 私の古くからのある親友は、私が毎晩酒を飲んでいたのを見て、「君は旅行をしようと思えば、いつでも出来るんだから、酒を飲むのをやめて、旅行したまえ。酒が飲みたかったら、旅先で飲むといい」と、非常によい忠告をしてくれたことがあった。それ以来、「旅先の酒」が私の頭にこびりついている。提灯持ちのようになるが「旅」という雑誌を読むようにすすめてくれたのも、この友人であった。
旅行鞄一つ提げて、始終気軽に旅行している人を私は羨ましいと思う。旅行に旅行の次いでいる身分を、好いと思う。しかし、私としては、旅行ずれということは感心しない。 見聞の広くなるのはいいが、何を見聞しても、大して感興を覚えない。こういうようになっては困るのである。広く恋愛をした人が、かならずしも深く恋愛を味うとは限らない如く、広く旅行をした人が、かならずしも深く旅行を味うとは限らない。私はめったに旅行しない代りに旅行ずれがしていない有難さには、一寸した旅行でも、いつも生き生きとした感興を覚えることが出来るのを喜んでいる。嘱目[しよくもく]、みな珍しいのである。大抵の場合、 旅行を一つすれば、小説が一つ書けるのも、その賜物である。東海道線をしょっちゅう往復している人にとっては、静岡県の茶畑も、天竜川のあたりに飛んでいる白鷺も、伊吹山の魅偉な姿も、格別目を楽しませないであろうが、私にとっては、いつの時でも、その情景を手帳にひかえたい気持にさせられるのである。私は、出来るだけ生き生きとした感興をもって旅行ずれはしたくないと思う。
井伏鱒二選集(筑摩書房)第四巻「円心の行状」に書かれている故太宰治君の後記を見ると、井伏氏を目して旅行上手といっている。面白い着眼である。「旅行の上手な人は、 生活に於ても絶対に敗れることは無い。謂わば、花札の『降りかた』を知って居るのである。旅行に於て、旅行下手の最も閉口するのは目的地へ着くまでの乗物に於ける時間であろう。すなわちそれは、数時間、人生から『降りて』居るのである。それに耐え切れず、 車中でウキスキイを呑み、それでもこらえ切れず途中下車して、自身の力で動き廻ろうともがくのである。けれども、所謂『旅行上手』の人は、その乗車時間を、楽しむ、とまでは言えないかも知れないが、少なくとも、観念出来る。この観念出来るということは、恐ろしいという言葉をつかってもいいくらいの、たいした能力である。(略)井伏さんは旅の名人である。目立たない旅をする。旅の服装も、お粗末である。」
つい昨夜も、当の井伏氏から、先だって大阪京都へ行って来た話を聞いたが、その話を聞いていると、なるほど「旅行上手」とうなずけた。栂尾[とがのお]の高山寺や宇治の黄檗山などへ行った話だったが、非常によく観て来ていて、その見方が独特で、話題も豊富であった。 余人では、ああは行かないだろうと思われた。同じものを見ても、百倍のものを見、感じて来たというふうであった。旅行下手の人は、どんな勝れたものを、如何程多く見ようとも、心を豊富にするすべを知らないのである。旅行上手の人は、それに反し、一寸したつまらないものを見ても、それを旅の土産にすることが出来るのである。井伏氏達が黄檗山の庫裡の玄関を入って、声をかけた。返事がない。ふとそこにある貼紙を見ると、声をかけて返事がない時は、もっと大きな声をかけてくれ、という意味のことが書かれてあった。 禅味たっぷりの貼紙である。語る井伏氏も、面白そうに話したが、聞く私も、面白かった。こういうことを土産話にすることの出来る井伏氏は、やはり旅行上手というよりほかはないであろう。
観光旅行、講演旅行、招待旅行、みんな結構である。それを機会に旅行が恵まれ、行く先では歓待を受けるのは、悪くない。しかし、本当に心に残る旅行は、そんな公けの旅行ではなく、ひとりで、瓢然として、内心の欲求にしたがってする、太宰君のいわゆる「目立たない旅」であろう。島崎藤村の「巡礼」は、功成り名遂げた藤村が、日本ペンクラプの代表として、夫人同伴で、南米アルゼンチンに使し、ヨーロッパを巡って帰る旅行記であるが、有り態にいって、これはあまり面白くない。それよりも、姪との恋愛を清算しよりとして、フランスへ脱出して行った当時の「海へ」「エトランゼェ」などの旅行記の方が、ずっと面白いし、重要でもある。こういうことが起って来るのも、名士としての旅行と旅人としての旅行との相異によるといえるのである。旅人としての「目立たぬ旅」は、
若山牧水が奥利根を歩いたように、そこの風物にあくがれてなされる場合もあるであろうし、北原白秋が三浦三崎から小笠原へ渡ったように、心の苦悶を遣[や]るといった場合もあるであろう。したがって楽しい旅とばかりはいえず、辛い、苦しい旅となることもあるが、 それだけ深く心に残る旅となるのである。
誰でも、旅をした後と前とでは、多少とも人間が変るようである。自分で、それが判る。これが旅の功徳というものであろう。アンドレ・ジイドは、ある書物を読んで、それを読む前と後とで、人間を影響変化せしめないような書物は、真に価値ある書物ではないというようなことをいっている。旅も、これと同じことで、旅をする前と後とで、人間を影響変化せしめないような旅は、真の旅といえないかも知れない。旅に出れば、今までにない何かを受入れるのであるから、人間が変るはずである。ゲーテのイタリア旅行は、ゲーテの一生に決定的な影響を与えた。旅の聖ともいうべき芭蕉は、旅から旅を重ねることによって、絶えず人間を影響変化せしめ、あれだけの詩人になったのだと思う。
むずかしいことはともかくとして、旅というものは、楽しいものである。楽しいから、 よいものである。しかし、旅そのものよりも、旅の思い出の方が、楽しいように思える。 私はいつか、「旅もいいが、旅の思い出の方がもっといいんだ」と口走ったことがある。まったく、旅の思い出は楽しい。辛かったこと、苦しかったことすら、美化されて頭に浮ぶ。というのは、心理学に、記憶楽観説というのがあって、悲観的なことすらも、記憶においては楽観的なものになるというのであるが、旅の記憶においては、それがことに楽観的に思い出されるような気がするからである。そこでまた、旅というものは、旅そのものを楽しむというより、そういう思い出を楽しむためになされるものだといえそうである。しかも、同じ楽しい思い出にしても、恋愛の思い出には、ある苦さが伴い勝ちであるが、旅の思い出には、そういう苦しさの伴わないのが気持好い。
私も相当数の旅の思い出を持っているが、新しい旅の思い出がくわわるごとに自分の蓄財が一つずつふえるような気がする。私はそれらの旅の思い出を、おろそかにしないで、 いつまでも大切にしている。子供達にも、旅行のあるたびに、何よりも絵葉書を買って来るようにいいつけている。それは、旅の思い出を大切にさせる手段にほかならないのである。絵葉書は、それを取り出すたびに、思い出を新たにし、また薄れていた思い出を正確ならしめるのに役立つのである。
旅は、しっ放しでなく、その思い出を大切にしたいものである。