「浅草の親子丼 ー 源氏鶏太」アンソロジー たまご から
私の体重は、一時、二十一貫にまでなった。身長は、五尺四寸三分なのだから、これでは肥り過ぎである。
しかし、私は、前前から肥ることを警戒して朝は牛乳を一杯、昼は会社のウドン、夜だけ普通に御飯を食べるようにしていた。だから自分でもどうしてこう肥るのか分からなかったのである。
そのうちに、やっと分かったのは夜食が原因だ、と云うことだった。私が原稿紙に向かうのは、日曜日を除いて夜だけだから、たいてい二時三時まで起きている。それでつい夜食がほしくなるのだ。
その夜食もめん類が多い。肥るのはそのせいに違いない、と分ってから、やめる決心をしたのだが、たのしみが一つ減ったような気がした。
私は冷し中華そばが大好きなのである。だから夏になるとこれを夜食にすることが多い。
それも夜の十二時近くになって、女房と二人で渋谷まで食べにいくのである。
ところが冷し中華そばに、本当にうまいと思うのはめったに無い。もともと、私は味覚については音痴に近い方だし、特別にゼイタクな物、うまい物を食べたい、と云う慾望のすくない方だ。ただ、何んとなくうまければ満足している。
渋谷には、中華そば屋が十数軒ある。私と女房は毎晩のように渋谷へ出ては、あの店、この店と、うまい冷し中華そばを探して歩いた。しかし、その目的が達しられないままに、私はすこしでも痩せるために、夜の渋谷行を中止することにした。そしてはじめの一週間ほどは、腹がグウグウと鳴るようで辛かったが、いつかそれにも馴れて、平気になることが出来た。そのせいか近頃は体重も二十貫弱になって来た。
しかし女房にすると、私と毎晩渋谷へ出られることが楽しみだったらしい。その楽しみが減ってガッカリしている。それで私は、その埋めあわせの意味で、一日、女房を浅草へ連れていった。
私は小説を書くために、浅草へは何度も一人で出かけているが、そして女房も、母親を案内して一度行っているのだが、夫婦で出かけるのははじめてであった。かねてから連れていってほしいと女房に云われていたのである。
私は会社の終るのが四時なので、五時に東京駅の乗車口で女房と落合って浅草へ出かけた。 女房はホクホクの上機嫌であった。仲見世を通って、先ず観音さまに参詣した。
終ってから梅岡へ寄って、私は白玉入りの田舎しるこを、女房は宇治金時を食べてすこし涼しくなった。八月のまだ暑い真っ盛りだったのである。
梅岡を出てから新仲見世を通って映画街に出た。私たちはあちらの看板を見、こちらの看版を眺めながら歩いていった。別に二人とも映画を見ようと云う気ははじめから無かった。
相変らず食べ物屋が店を出している。ただ昔と違って、非常に減ったと思われたのは、 れたのは、の
り巻を売っている店で、そのかわりやきそば屋がバカに多いことだった。
「きっと、こんなお店のやきそば、おいしいわよ」
「じゃア、思い切って入ってみよう」
「そうねえ」
「まずかったら、すぐに出ればいいんだ」
「でも・・・・・・」
結局、女房は殆んど露店に近いそんな店に入る勇気は無いらしかった。
「帰りに駒形のどじょうを食べようか」
「そうねえ」
「本当を云うと、僕はせっかく浅草へ来たんだから、浅草で晩めしが食べたいんだよ」
「あたしも」
「よし」
二人の意見は一致した。そして私たちは更にすこし歩いて、三十分ほどスマートボールをしてから、一軒の店先に立った。いろいろの見本が並べてある。どれも山盛りである。念のためにその値段の一部を書いてみると、
かつ丼、天井八〇円
親子丼 七〇円
やきそば、やきめし 入〇円
にぎりまぐろ、えび、生がい一個一五円 其の他一〇円
ビール 百四〇円 つき出しつき
ちらし百円、百二〇円、百五〇円
と、こんな風であった。
私たちは何にしようか、と随分まよったあげく夫婦とも親子丼ときめた。
テレヴィジョンは都市対抗の野球を放送していた。それを見ているうちに、親子丼が運ばれて来た。見本程では無かったが、結構量が多いのである。
先に一口食べた女房は、
「おいしいわ」
と、云った。
「関西の味よ」
と、つけ加えた。
女房は関西の生れだし、私も二十年近く大阪で暮している。五年ほど前から東京に住むようになったのだが、いまだに東京の食物の味は、からいような気がしてならない。関西流のやわらかい薄味が恋しくてならなかったのである。あのきつねうどんを食べるだけの目的で、 大阪へ行きたいと思っているくらいだ。
私も一口食べてみて、
「そうだ、関西の味だ」
と、云った。
私たちはそれを綺麗に食べた。そして、浅草にいながらまるで大阪の道頓堀いるような気がしてならなかったのである。