「(安楽死・尊厳死の)日本では法制化は必要なのか ー 松田純」中公新書 安楽死・尊厳死の現在 から
抜管行為のみでの起訴はない
二〇〇四年から○六年にかけて、北海道立羽幌[はぼろ]病院、和歌山県立医大付属病院紀北[きほく]分院、富山県の射水[いみず]市民病院などで、延命置を中止する目的で患者の人工呼吸器を取り外し、思者が死亡して事件化するケースが相次いだ。道警や県警が、呼吸器外しに関与した医師を殺人容疑で地検に書類送検するケースが続いた。このため、治療中止について法で明確に規定してほしいという声がいっそう高まった。
射水市民病院事件などでは、人工呼吸器を取り外されたことによって患者が死亡した疑いで、担当医師が警察の取り調べを受けたものの、結果的に不起訴となっている。実は日本では、このような抜管行為のみで起訴された例はない。
日本には終末期医療のあり方を規定した法がない。安楽死を合法化している国が徐々に増え、安楽死は容認しないとしても、治療の中止、生命維持措置の中止の手続きを法律で定めたり、事前指示の法制化をしている国も多い。法律の整備で日本は遅れていると思っている人は多い。
二〇〇五年、日本尊厳死協会の要望を受けて、「尊厳死の法制化を目指す議員連盟」が設立された(現在「終末期における本人の意思の尊重を考える議員連盟」で衆参約二〇〇名。 その後、勉強会を重ね、二〇一二年に「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)第二案」を策定するに至った。この法案は、日本尊厳死協会の要望に応え、治療中止を中心にまとめ直したものである。この法案がなかなか上程されないことに苛立ちを覚えている人もいるであろう。しかし、こうした法が本当に必要なのかをあらためて考えてみたい。
日本には、終末期医療を規定した法律は存在しないが、厚生労働省が定めたガイドラインがある。これは、先にあげた、人工呼吸器を取り外した医師が殺人容疑で書類送検されたケ ―スが相次いだことを受けて、厚生労働省が二〇〇七年に策定した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」である。二〇一五年に名称のみが「人生の最終段階における医療の決定・・・」に改訂された。
さらに二〇一八年には、名称が「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」と改訂され、内容も初めて改訂され、アドバンス・ケア・プランニングの要素が取り入れられた。名称の変更の背景には、在宅医療をいっそう充実しなければならない時代になったことがある。病院における医療だけではなく、病院と在宅医療との連携を深め、医療職と介護職がともにこのガイドラインを理解して、継続的なケアを実現していく必要がある。そのために「人生の最終段階における医療」というタイトルが「人生の最終段階における医療・ケア」となったのである。介護分野にも、研修会などを通じて、このガイドラインについての理解を広めていく取り組みが行われていく。
このプロセス・ガイドラインの当初からの重要な内容は、次の三点である。①主治医がひとりで決めない。医療・ケアチームで検討する。②徹底した合意主義。本人の意思の尊重。家族とも合意を形成する。③緩和ケアの重視・充実。そのうえで、4-9にあるように、状況を三つのパターンに分類し、決定のプロセスの基本を示している。
二〇〇七年に発表された当時の受けとめ方はさまざまであった。圧倒的に多かったのは、「失望」の声である。ガイドラインいるは治療の中止の基準をなんら示しておらず、決定のプロセスの形式のみに終わっているという批判である。私自身も当時そのように感じた。しかし、不治の病で死期が近づいているような状況で具体的にどのような段階で治療を中止すべきかなどということを、基準として一律に示すことは不可能である。具体的な臨床のなかで、現場に関わる者が状況を総合的に判断して決定せざるをえない。もし基準を示せと言われれば、その文書は膨大なページ数になるであろう。
ガイドラインが示しているプロセスは、序章で触れた「治療行為の中止」の要件にも言及した東海大学病院と川崎協同病院における二つの事件の判決をふまえている。例えば、川崎協同病院事件の横浜地裁判決のなかの「末期医療における治療中止について」という節で指摘されている要点をクリアする内容である。ということは、こうした合意のプロセスを丁寧に積み上げていけば、違法性はなく、そもそも、事件にならないことを意味する。
実際、そう考える法学者も多い。刑法を専門とする佐伯仁志・東京大学教授は、プロセス・ガイドラインに従って判断がなされれば、そこに警察が介入することは考えられない、 臨床現場に司法が介入することは望ましくないと述べている(『ジュリスト』一三七七号)。
日本老年医学会が、人工的水分・栄養補給の中止も選択肢に含む「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン 人工的水分・栄養補給の導入を中心として」を二〇一二年に発表したとき、付録に「本ガイドライン案に則って、関係者が意思決定プロセスを進めた結果としての選択とその実行について、司法が介入することは、実際上はあり得ず、あると すれば極めて不適切である」ということに賛同する法律家のリストを掲げている。二〇一二年六月現在で、元最高裁判事や刑法学者、生命倫理学者などを含む二九名が名を連ねている。現に、ガイドラインが策定された以降、治療中止の行為のみをめぐって、警察が動いた例はない。
人生の最終段階の医療については、日本医師会などいくつかの団体も、厚生労働省のガイドラインにそう形のガイドラインを発表した。日本救急医学会のものはより具体的に踏み込んだ内容である(二〇〇七年)。これはその後、日本循環器学会、日本集中治療医学会、日本救急医学会の三学会共同の「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」 (二○一四年)となっている。このガイドラインに基づいて、救命救急医療の現場では、いったん蘇生し人工呼吸器などによって生命が維持されている患者に対して、例えば、脳の損傷が著しく意識の回復のまったく望めないなどの状況を患者の家族に十分説明し、家族が本人の意思を推定しながら、「延命措置の中止を希望する場合」、「家族らとの協議の結果、延命措置を減量、または終了する方法について選択する」となっている。
「クローズアップ現代+」の衝撃
二〇一七年六月九日のNHK「クローズアップ現代+」は、帝京大学病院高度救命救急セ 「生と死のはざまで」)。治療中止してまもなンターで、このプロセスを経て、人工呼吸器を外し、そのおよそ一時間後に患者が死亡する場面を放映した(「『延命中止』という新たな選択く患者が死亡する場面が公共の電波で流れたのである。しかも患者も担当医師も実名での報道であった。だがその後も警察による捜査はなかった。
日本医師会もこの番組に注目した。第vx次日本医師会生命倫理懇談会答申「超高齢社会と終末期医療」(二〇一七年一二月)は、「NHKで十分なプロセスを経て人工呼吸器を外す場面が堂々と放映されても、関係者に対し捜査の動きもないこと」を例示して、個別性の高い終末期医療を法制化することに対し、慎重であるべきとの立場から、適切な公的ガイドライ
ンに従うことで現場の医師が免責を受けられることが望ましいとした。
人工呼吸器を外せば警察の取り調べを受けると思っている医療者はまだ多い。「病院の方針としてどんなことがあっても呼吸器を外さない」と定めている病院もある(このような方針が非倫理的であることを批判したものとして田代志門「病院の方針として『呼吸器は外しません」と定めるのは倫理的に許されるのか」)。しかし、現状は、「クローズアップ現代+」が示したところまできている。
延命至上主義の変化
いま「延命至上主義」といわれる状況が変化しつつある。最近、治療中止も一つの選択肢むガイドラインが相次いで出されている(1/0)。例えば、「成人肺炎診療ガイドライン」は高齢者炎の増加に注目し、新たな診療方針を示している。高齢になると、 嚥下機能つまり物を飲み込む力が低下し、誤嚥性肺炎が起こりやすくなる。肺炎自体は抗菌薬によって比較的簡単に治るものもあるが、嚥下機能が改善しないと、誤嚥性肺炎を繰り返す。そのたびに抗菌薬の使用を繰り返すと耐性菌のリスクも出てくる。また、介護施設に入所している高齢者が肺炎を繰り返し、 病院への入退院を繰り返すうちに、認知機能の低下や全身状態の悪化も生じうる。新ガイドラインは肺炎治療による一時的な病状の改善だけではなく、次第に治療が難しくなっていく反復性の問題や全身状態の悪化などを総合的に判断し、肺炎の治療を見合わせ、緩和ケアを主体とする方針も選択肢として提起している。
このように、これまで当然行うべきとされていた治療方針について、治療しない選択肢を入れたガイドラインが増えてきている。日本の医療はいま大きな転換を迎えている。
他方で、こうした流れを心配する向きもある。「治るはずの肺炎も治してくれないことを「尊厳死」と思も出と思い込んでいる医者出てくる」と川口有美子NPO法人ALS/MNDサポートセッターさくら会副理事長は懸念する(「尊厳死法制化の動きとその奥にあるもの」)。こうした危惧に対しては、患者の権利を明確に定めた法こそが必要であろう。安易に治療中止にならないような「患者の意思の尊重」の保障である。
先進各国にはほとんど存在する患者の権利法を求める運動が、日本弁護士連合会などを中心に長らく進められてきた。実際、「患者の権利宣言案」(患者の権利宣言全国起草委員会、一九八四年)や、「患者の権利の確立に関する宣言」(日弁連、一九九二年)などが出されてきた。 日本医師会も「医療基本法草案」をまとめ、そのなかで患者の権利を譲謳っている。
日本には教育基本法や環境基本法、災害対策基本法など「基本法」と名のつく法律が現在六三本ある。他方で、医療に関連する法律は、医療の供給体制や公衆衛生対策など、おびただしい数の法律が制定・改正されてきた。だが医療基本法は不在である。そのため、医療関連の法律はその相互の関連性も複雑多岐にわたり、理念的な統一を欠く(「医療基本法の意義」)。医療基本法で基本理念を定め、そのもとで医療政策の整合性を図ることが必要である。
医療基本法案は一九七一年の第六八回国会に提案され審議されたが、廃案になった。しかし、その後も議論が断続的に続いてきた。現在、日本医師会の他に、日本病院会、全日本病院協会、患者の権利法をつくる会、東京大学公共政策大学院医療政策実践コミュニティーなどから医療基本法案が示されている。内容が一致しているわけではないが、医療基本法の制定の必要性については、すでに幅広い合意が形成されている。「患者の権利法」という名称にこだわらず、医療基本法を早く制定する必要がある。そのなかで人生の最終段階の医療でも患者の意思の尊重が明確に規定されることが求められる。