「浅草観音温泉 - 武田百合子」温泉天国 から

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浅草観音温泉 - 武田百合子」温泉天国 から

浅草観音温泉の二階の窓ぎわに、立派ではない松の盆栽が二鉢置いてあるのが見える。もう少しで落ちてきそうだ。その並びの硝子窓を開けて、マッサージ嬢らしい人が首すじをのばして五重塔の方の中空を睨み、すぐ閉めた。三階か四階から、おそろしく下手な男の節の演歌が聞えてくる。女の節の歌も聞えてくる。
『娯楽と憩の霊泉。当温泉は天然温泉です。良質な重曹泉ですから、よく温まり漂白作用もあります』
看板を見ていると、ビロードのような黒いソフトに黒い外套、紳士然とした身ごしらえの老人が擦り寄ってきた。
「本当の温泉よ。東京はどこ掘ったって温泉出るのよ。ただね、うんと深く掘らなきゃなんないからやんないだけ。ここ三十五周年記念だいぶ前にやったの。むかしは底が見えないくらい、お湯が茶色かったの。そうねえ。十五年ばかり前の地震でどうかしたのね、色が少し薄くなったみたいよ」
いやに彫りが深くて色白の、元美貌、そのため却って、お金のなさそうな人にみえる老紳士は、役者のような声でそうしゃべると、観音様の方へ歩いて行った。脚がわるいらしい。片方の肢[あし]が義足らしい。
入浴料五百円。一度入ってみたいと思いながら、入りそびれていた。
「大人二枚。すいてますか」
「すいてますよ」
「三階の演芸場では、どんなもの演[や]ってますか」
「みなさんがお互いに演りっこするんですよ」
『貸タオル百五十円。百円戻ります。但し靴など拭いたりして汚すと戻りません』『泥酔者、極端に不潔な方の入場お断りいたします』このような貼紙がしてあるからには、貸タオルで靴を拭く人と泥酔者と極端に不潔な人も、入りたくなって、きているのだ。極端に不潔と、普通程度に不潔との境い目は、どういう風にきめるのだろう。受付の人がきめるのだろうか。
緑色がかった古い蛍光灯が何本か灯る脱衣場には、天井からプロペラ型の旧式な大扇風機が吊下っている。鍵のこわれていないロッカーを探して、その前でしゃがんだり立ち上ったり足踏みしたりして裸になりながら、「知らない町のお湯屋に入るのは緊張する」と、Hがくすくす笑う。
天井の高い流し場の壁二面を、たっぷり四角にぶち抜いて、明りとりの硝子ブロックが嵌め込んである。昼間の外光がそこから穏やかに射し込んでいる。カランにとりついて、十二、三人ばかりが静かに背中や手足を動かしている。半円形の湯船に飴色のお湯がさらさら溢れ、堂々たる貫禄の肥満体のおばさんが二人、手を泳がせながら、そろそろと飴色のお湯に浸かり、顎まで浸かると、二人ともにお相撲さんのような苦しげな声で、ああいい気持、生きてるって気がするねえ、まっと近かったらいいのにねえ、と肯[うなず]き合う。話の様子では千葉の方から来たらしい。

「このあと三階の演芸場にも行ってみたいけど、順番で何か歌えっていわれたら、どうする?」
じっと、お湯に浸かったまま考えていたHは、
「このさい、歌っちゃう」という。私もお湯に浸かったまま、ひろびろとしてきた気持の中で、よし、そうなったら美空ひばりの『花笠道中』にしよう、と決める。
お湯から上がれば眠くなってくる。飴色のお湯が効いたのだろうか、眠くなってきた。便所の戸が開いて、黄ばんだ丸裸のおばさんが出てくると同時に、のけぞるほどに強烈な、アンモニア系統の臭いの一陣の風が板の間に吹きこみ、戸が閉まると忽ち薄れた。ガムテープで裂けた箇所を修繕した子供用木馬によりかかって、風呂敷包から引張り出した真紅の布を二度振るい、ゆっくりと腰にまきつける老婆は、一休みして、また風呂敷包から真紅の布を引張り出して振るう。今度は襦袢で、左右の腕を通す。表の犬の咳みたいな声が遠くに聞える。あの犬、温泉のはす向いの食堂の前につながれて寝そべっていた大きな犬だ。今夜はよく眠れそう。演芸場はまたにして、天丼でも食べて帰ろう。
大黒家の方角へと歩いて行く途中で、どのあたりだったか、大きな建物(劇場かもしれない)の中から、突然、大量のおばさんたちが溢れ出てきた。ほとんどが毛皮襟付き外套の腕に膨らんだ手提を抱えて、通りの幅いっぱいにひろがり、なおもあとからあとから溢れ出てくるおばさんに押され押されて、夕方の残光の下を、しゃべり声の黒いかたまりとなって、此方へ行進してきた。
大黒家は満員。置き場がないから、皆、外套を着たまま、手袋と襟巻だけ脱いで食べている。かき揚げ一枚と海老二本の天丼をとる。
浅草へきても、お腹が大黒家の天丼を食べたい空き具合になっていなかったり、丁度そのような空き具合となっているときには、大黒家の表までお客が列をなして待っていたりして、めでたく入れたことが、いままでない。
去年の十月の末だった。夕御飯に大黒家の天丼を食べ、それから左に歩いて行って左へ曲って、六区の常磐座にかかっている『ビニールの城』を観る、-その日は家を出るときから、頭とお腹にそう言いきかせておいたのだ。そして、運よく待たずに大黒家の椅子に腰かけることが出来、海老四本の天丼をとった。
斜めに蓋が浮いて、海老の赤い尻尾がはみ出た丼が運ばれ、熱い蓋を取り、箸をぱっきり割って海老をはさんでとり上げた。大黒家の天丼の海老は、ただの海老ではない。一本がしんなりと重いのだ。嬉しくなって一口かじる。かじった一口をのみ込みもしないうちに、本当にどうしたことだろう、たらたらと鼻血が出てきた。Hは、自分のと合せて海老八本と御飯二人前を食べたあと、伝法院通りを常磐座まで、そりくり返った姿勢で歩き、ときどき、「苦しい」と呟いたり、胃をさすって、「吐きそうだ。でも勿体ないから吐かない」などと、うわごとのように言ったりしているうちに、口をきかなくなり、笑わなくなった。私は、常磐座でも鼻血が止まらなかったら、まわりの見物客に嫌われる、そうかといって帰るのは勿体ない、とそのことばかり気になっていた。しかし、『ビニールの城』がはじまり、二幕目になると、芝居は断然面白くなり、主役の石橋蓮司が長セリフの名セリフをしゃべりながら、水泳帽をかぶり、水中眼がねをかけ、水槽のふちにとびのり、そこで中腰となった恰好(こういう恰好が石橋蓮司は得意だ)で、またまた長セリフの名セリフをしゃべり、水槽にとびこむ場面では、もう鼻血のことなどはすっかり忘れていた。-
丼から顔をあげつ、涙が出てくるくらいのおいしさだ、とHが言う。やっぱり飴色のお湯が効いたのだ。少し遊んでから東京の温泉へ入って何か食べて帰る、-この遊び方、知らなかった。表へ出たら、中天に月まで出てくれていた。